店長が行く!第7回
「橋をかける」
羊屋白玉さん(「指輪ホテル」主宰、劇作家、演出家)×柏木 陽(NPO法人演劇百貨店店長)

 「指輪ホテル」代表で劇作家、演出家の羊屋白玉さんは、今年3月に世田谷パブリックシアターで行われた「中学生のためのワークショップ・演劇百貨店」で、柏木陽店長とともに、中学生たちとの演劇作りをしました。 アーティストにとって、異世代と作品作りをすることでどんな発見があったのでしょう。 そして、自身の作品作りにどんな影響を及ぼしたのでしょうか。 10月に新作「It’s Up To You」を公演する彼女に、お話を伺いました。

◆ 「無邪気」と「背伸び」を行ったり来たり

──自分の子ども時代、といって思い浮かぶのは何歳くらいの頃ですか。
羊屋:小学校の3~4年生ごろのことを、今ふっと思い出しました。 学校では別に問題があるわけでもなく、普通に過ごしていたんだけど、それより自分にとっては、学校以外のことが面白かったの。 ひとりになれるから。 弟も学校があるし、父親も母親も働いているから、自分の趣味嗜好にあわせて過ごしてました。
 学校が終わってからは、ピアノとエレクトーンを習っていたから週に2回はそこに行く。 プラネタリウムにもよく行ったなぁ。 図書館に行って、1人で過ごすのも好きだった。 すごくいろんなことを吸収していたと思う。 森鴎外とか読んでいた記憶もありますね。 『舞姫』だとか(笑) 文体が難しいから、勝手に想像していたのかも。 それで、だれにも読んだことを言わないの(笑)
──背伸び感覚でしょうか。 高校生ぐらいで、分かりっこないのにドゥルーズの本を持ってたりするような。
羊屋:でも、みんなで作業をするときは、ほんとに無邪気。 今思うと「背伸び感」と「無邪気感」の繰り返しだった。 中学生でも、高校生でも、行ったり来たりしてました。

◆ いつでも誰とでも、距離はある

──今年3月に世田谷パブリックシアターで行われた「中学生のためのワークショップ」では、私(柏木)と一緒に演出・指導を担当してくださいました。 羊屋さんと僕の間には、どんな役割分担があったんでしたっけ。
羊屋:例えば、ここにコーヒーがありますけれど、このコーヒーがあまりにも苦いからどうしようか、砂糖を入れようか、もう一回入れ直そうかという話を柏木さんがしている。 その一方で、私は「このコーヒーの原産地はどこか」と違う視点で場を見ていたんです。
 全体を見ていったのが私で、中学生個々人を見ていったのが、柏木さんでしたね。 私が全体から個に入っていくことで、柏木さんが個から全体へ伝染させていく作業がスムーズに行われて、とてもバランスが良かったんじゃないかな。
「ひとりの人につきあって問題を解決する作業をしていくと、全体が良くなることもある」と柏木さんが言っていて、私、それもすごくそうだと思いましたよ。
──羊屋さんは、ワークショップって、どんなものだと思いましたか。 どんな場所でしたか。

羊屋:「私はこういう者です、あなたはこういう人です」というギブ&テイクができる場所というのは、すべてワークショップだと思います。 言葉があんまりできない人は、体で。 絵でもいいと思う。 「自分を分からせたい」と少なからず思っている人がいて、「他人を分かりたい」と思っている人たちがいる。 価値観が違う人があつまる中で、この人とはどういうふうに知り合っていくのかということを探していたりする場所かなあ、と思います。
──そんな現場に、延べ14日間お付き合いいただきました。
羊屋:このワークショップでは、ものすごく衝撃を受けたんだけれど、それは「新しい発見」ではなかったんですね。 中学生というのは、自分が経験してきたわけですから、そのころの感覚がもう1回呼び起こされたというか、もう一度違う場所から子どもたちを見た瞬間がありました。 今の自分と中学生は、切り離されたものではない、と。
 そのときから、冷静に稽古場に入れた感じがします。 その思いを真ん中に、これをちゃんと橋にしようと思ったんです。 どういう橋にするかで少し苦労したけれど、ともかくそういう作業をしました。 向こうもこっちに歩いてこられる橋、私も向こうに行ける橋というものを、自分の中で架けたんだと思います。 トコトコ歩いてくる人もいたし、私の方から行った人もいたし、その橋もワークショップだなあというふうに思いましたよ。
──ふだん羊屋さんは、指輪ホテルの演出家として作品を作っていますよね。 子どもとのワークショップが、ご自身の作品に影響を与えた部分はありますか。
羊屋:中学生って世代が全然違うし、よく分からない物体だと思っていたから、橋を意識的に架けた。 これは自分の中では良かったんだけれど、この橋というのは、同世代でも油断できん!というか、いつでも架けなきゃいけないというふうに思うようになりました。
 同世代で作品を作っているときは、知っている人同士でやっていたから、そういう橋はいらないと思ってた。 おんなじ洞穴に住んでいるような感じで(笑) でも実は、距離はいつでもだれとでもあって、一人一人と橋を架けるということは、絶対どんな時でも、だれとでも必要だというふうに思った。 私は、その後の作品づくりの中で、一人一人への橋をつくっていくには、いろんな素材が必要なんだということが分かりました。 テクニックとは別なんですね。

◆ 橋を架ける、そして、線を引く

──たとえば、相手に対して常に100%向かっている必要はない。 だけど、こちら側が相手に全く興味を持てていないと、何をやっているんだか分からなくなっちゃう。
羊屋:「中学生のワークショップ」は、それだけが大切だったような気がしますよね。 グループ分けをして、それぞれの子どもの担当者を決めたはずなのに「あれ、この子のことをだれも知らないの?」なんてこともある。
 そんなときスタッフミーティングの結果は、原始的だけれど「明日もちゃんと(その子のことを)見よう」「思い出したら何か話そう」といったところに落ち着く。 それだけで成り立っていたんだ。 何ていうのかな「それだけで」っていうのは、そんなことだけでいいという意味ではなくて。
──僕は、そんなことだけで成り立っていたという言い方をしてもいいと思うんですよ。 たかだかその程度のことなんだけれど、ものすごく大事なのね。 その程度のことって。
羊屋:ひとりで絵を描いているんだったらそんなに必要じゃないかも知れないけれど、この場を選んでいるということは、もっと他力本願でいいんじゃないかと思った。 何かちょっとでも相手を気にしたことが、必ず返ってくる。 落としたハンカチも、必ず戻ってくる。 何かがまわる現場だったんですよね。
──話は変わりますが、演劇百貨店の創業者である如月小春は、子どもたちに「ダメといっちゃダメ」と言っていました。 でも、僕は最近、あえて「ダメといってもいい」場所を作りたい、と考えているんです。 ほかの世代との共通項があまりにも失われている気がして。
羊屋:やっぱり、こちら側がダメだと思うことをダメだと言っておかないと、言われなかった世代はどうなるんだろうと感じます。 たとえ自分が違う道に進んでも、違う価値観を押しつけられた記憶は、けっこう重要な気がするんですね。 それがやれるのは、今だと思います。 自分の上の世代の人の話は聞きたいと思うし、言われたいし、自分も言わなきゃ、と。
 指輪ホテルの前作『情熱』では、如月さんの戯曲『DOLL』を再構成して作品を作りました。 『DOLL』の初演時から20年経っているんですが、子どもたちの犯罪やら自殺が増えたりとか、解釈、情報はいろいろありますが、私は、高校生たちの自殺をひとつの主題にしたこの作品に対して、私のひとつの思いを投げた感じはあるんですね。 今後私は、公私ともにそういうことをやって行くんだろうなと思っています。 橋を架ける一方で、自分を示すための「線を引く」感じでしょうか。

2003年5月、東京・杉並にて
聞き手:柏木 陽(演劇百貨店店長)、小川智紀(同番頭)
2003/10/06