居場所を守ってくれた大人たち

国分宏美(こどもの館劇団)

2003年7月25日

※國分宏美さんは現在、こどもの館劇団OGの浜岡奈緒子さんと演遊舎を作り、こどもの館での「こどもの館劇団」、「げきあそび」や、地域の児童館などで子どもたちとともに演劇を作り続けています。(2021年1月注記)

 

兵庫県立こどもの館の野外移動づくりには、さまざまな地元参加者がいます。 大きく分けると、劇団卒業生の「おとな」と、学校の先生たちを中心にした「おとな」。 国分さんは、中学生のときから「こどもの館劇団」に関わり、今では地域の演劇指導者のひとり。 彼女に、これまでの劇団のあゆみを振り返ってもらいました。

◆魅力的だった中二の夏休み

出会いは突然やってきました。 あれは、92年。 中学二年生の一学期も半ばを過ぎた頃、担任が教室の後ろに掲示した貼り紙──それで「こどもの館劇団」を知りました。 小学四年生の頃からミュージカルをやっていた私は、さっそく参加の申し込みをして以来、今年にいたるまで「兵庫県立こどもの館」に七月、八月の猛暑の中、汗だくになりながら通い続けています (それでも、一向に痩せない私の体はすばらしい)。

この「こどもの館」は、兵庫県姫路市の辺鄙なところに位置しておりまして、市内からバスに20分ほど揺られ、山奥にあるものだから急な坂を登り、やっと施設にたどり着きます。 初めて行ったときには、このロケーションにも驚きましたが「ひと夏でオシバイをつくる」という割に、冒頭の部分だけしか脚本がなかったのにもびっくり。 役柄の振り分けだって、オーディションは全くもってなく、くじ引きで決めるのだ!

しかも、発表会は館内の劇場でやるのかなあ…と思いきや、屋外でしかも移動しながらやる──とのこと。 いやいや、やりすぎ!! と、今なら思えるけど、当時は14歳。 「そら、こんな面白そうなこと!!」と目をキラキラと輝かせ飛びつきましたわ、ハイ…。 あの夏の日々は、とにかく魅力的でした。 最終日に「国分、来年もまた会おうね!」と(先代指導者の)如月(小春)さんに声をかけられたことは忘れることができません。 あの夏は、すべてが魅力的でした。

私が一番印象に残っている作品は、阪神大震災の年(1995年)に上演した『ぼくたちの銀河鉄道』です。 ジョバンニ役をやりました。 それまでは人を笑わせる感じの役が多かった私ですが、あのときは一転ギャグ禁止になったので、よく覚えてます。 人の生と死をイメージしたこの作品は、如月さんの追悼公演として01年に再演しています。

◆大人が参加し始めた「こどもの館劇団」

「こどもの館劇団」のターニングポイントは、96年です。 それまで自分たち子どもが中心だった劇団に参加者/出演者として、学校の先生たち「おとな」が入ってきたのです。 正直、高校生のころの私は、いやだなって思いました。

しかし、自分も高校を卒業して、「おとな」として参加しはじめると、これまで見えなかったことが見えてきます。 指導する側になって、一番最初に覚えたことは「中高生が持ってきたアイディアに“ダメ”といわないこと」。 これ、案外簡単なようでかなり難しい。 いまだに苦労します。

今考えると、学校の先生たちが劇団に入ってきてくれたおかげで、おとなの人ともたくさん話すことができたし、すごく良かったんだと思います。 「今までずっといろんな人たちに守ってもらっていたんだ」ということは、おとなになってから分かるんですね。 そして、子どももおとなも一緒になって、お芝居を作っていく。

今年も変わらず、私は子どもたちと一緒に舞台に立っています。 「こどもの館」は、おとなのあたしにとっても、あたしがあたしらしくいられる場所です。 子どもたちだけじゃなくって、きっと関わった人たちみんなのための場所です。

「ペラペラオペラ」が今年のタイトルです。 どんなものができるのかは、まだ分からないけれど、走り続けるのみ。 けど、間違いなく面白いものになりますよ~。 ぜひ、発表会を見に来てください。