店長が行く!第4回
「世界を動かす表現のありか」
佐藤学さん(東京大学大学院教育学研究科教授)×柏木陽(NPO法人演劇百貨店代表)

 教育学の研究者・佐藤学さんは、とりわけアートの可能性に注目し、最近では「子どもたちの想像力を育む アート教育の思想と実践」(今井康雄氏と共編、東京大学出版会)という著作をまとめています。 その佐藤さんとともに、子どもとの演劇活動を続けてきた「演劇百貨店」創業者の如月小春(劇作家・演出家)は00年に逝去しましたが、私たちは彼女の現場を発展的に引き継いでいます。
 佐藤さんのお話は、あらためて教育と演劇のかかわりについて問い直す機会になりました。

◆ 船乗りになりたかったキコリ

──佐藤さんは、どんなお子さんでしたか。
佐藤:自分が子供のころのことってほとんど覚えていないんですよね。 おとなしい子でした。 ……そういえば、子どもの頃から、バイクや自動車を乗り回していたな。 駐在が自転車だったから、追いつけないんだよ(笑)。
──それは、おとなしい子だとは思えないんですけれど(笑)
佐藤:小学校のころは、ひたすら海ばかり見て、油絵で海の絵ばかり描いていた。 それから、クラシックギターにはまって、ずっと一人で弾いていた。 変でしょう。
──変ですね(笑)
佐藤:山仕事が好きだったから、日曜日ごとに山に入って木を切ってキコリみたいな仕事していたけど、もともと船乗りになりたくて…。 自由といえばすごく自由。 モノにとらわれない点は、今も変わっていないのかもしれない。 だから、あんまりキッチリした子ども時代の像を結ばないんだけれど。
──その佐藤さんが、教育の先生になるなんて不思議ですね。
佐藤:あまり自分のことは考えません。 自分のやりたいことをやるのが幸せな人生だ、という哲学が最初からないんですよ。 必要とされることを、自分が引き受けてやるしかない、という感覚があります。 自己実現とか自分探しみたいなものを、中学校までずっとやって来たら、行き詰まっちゃったんだ。 「これはダメだ」とその時だけ悩んだ。 あとは悩んでないな。

◆ コミュニケーションを演劇の中心の問題に

──私たち演劇百貨店の活動の場を最初につくりあげた劇作家・演出家の如月小春(00年逝去)と、多くの場でお話をされていましたね。
佐藤:如月さんと知り合ったころは、教育の改革がいろいろ叫ばれていた時期で、文部大臣と三人でシンポジウムをやったり、あちこちでお話をしました。 教育についてはいろんな人が発言したけれど、僕の中で、無条件に信頼できるたった一人の人が如月小春さんだったんだ。 あの確からしさはどこから来ているのかと思っていたんですよ。
 しかし、なぜ如月さんは子どもの演劇にある種のめりこんで行ったのか、その部分をついぞ聞くことはできなかったんだよね。 でも、僕個人の理解ということで許していただけるんだったら、二つあったように思うんです。
 一つは、子どものためにやっているというよりも、如月さん自身が新しい演劇のかたちを子どもと一緒に探っていたんではないか、ということ。 その中で、コミュニケーションを演劇の中心の問題にしようとしたのではないか。 結論から言えば、そうなります。
 人と人とがどのように言葉を交わしあい、まじわり、七転八倒し、不条理の中でそれでもかすかな祈りを持ち、日々の暮らしを営み、という一連の流れにある一番中枢のコミュニケーションの問題。 人の営みや、暮らしや、社会の成り立ち、それを正面から演劇の問題として考えること。
 演劇とは、われわれと、われわれにつながる人たちが求めている新しいコミュニケーションのかたちを実験する一つの舞台だ、と彼女は設定したんではないか。 僕の期待が重なってるかもしれないけれど、たぶんそうだ。 かなり確信してるんですよ。
 スキモノがどこかの隅で、演劇人として集まって話をしていくような、そういう演劇にはしたくない。 素人のおばあちゃんとかね、あるいは子どもがふらっと出かけて行って、演劇を見て楽しんで何かを揺さぶられてさ、そのときから言葉や人との関わりが変わっていくような、またそれを仕掛けていくような新しいコミュニケーションのかたちを、またそれ自体が実験的であり挑戦であるような演劇を作ろうとしたんじゃないのでしょうか。
──如月が目指したものは、私たち演劇百貨店に発展的に引き継がれています。 ところで、「コミュニケーションの問題」と、残りの一点は何ですか。
佐藤:もう一つはね、消費されない演劇の在り方。 これは僕もたまたま如月さんと同じことを考えていて、消費されない教育とか、消費されない学問のあり方をずっと考えているんですよ。 考えれば考えるほど難しい問題なんですが。
 つまり、言ってみればすべてが商業主義の中に取り込まれていく。 右も左も関係ない。それらがのみ込まれるように消費化されていく世界にどう抗えるか。 「コミュニケーションの実験としての演劇の問題」の裏側に、もう一つその問いの追求があったんではないかな。
 それは、考え方によれば、演劇がいま商業主義に挑戦できる一つのエリアだと思うんですね、そうも言えるでしょう。 極端に言うと、あほなことね(笑) 一番あほなことを必死にやれば、意外とこういう道は開けるところが出てくるはずだという感覚が支えていたのでは。 演劇というのは、そういうところからでしか再生できないんじゃないかという意識があったんだと思うんだよね。
 なんかこう、如月さんが教育をやっていて、おれが演劇をやっているんじゃないかとふっと思う時があって(笑) わかる?
──とっても良く分かります(笑)
佐藤:教育と演劇のつながりがあるということはよく言われる。 だけどね、今まで言われていたつながり方とちょっと違うんだよ。 例えば、教育の中にも演劇的な要素があるとか、教育演劇みたいなもの。 そういうのと違うんだ。
 人が存在して何らかの子どもと関わるときに、教育と演劇という境界がなくなっちゃうということです、一番根源的にはね。 どちらもおんなじ問題を考えているし、それは教育の考えかたで表わしてもいいし、演劇のかたちで表れることもあるという、そういう感覚です。

◆ 役には立たないけど、人々を魅了するもの

──実際に、兵庫県の大型児童館・こどもの館で行われた、こどもの館劇団の稽古場にも来ていただいたことがありましたね。 99年だったと思います。
佐藤:あの公演のとき、一番最初に登場する女の子がさ、いっちゃ悪いけれど、セリフ棒読みの子なんだよ、よりによって(注:くじ引きで配役を決定するシステムだった)。 一番最初にパーッと空気を作るところでさ、あの子でしょう。 それをね、如月さんはね、心から喜んでいるんだよ。 よかったって言うんだよ。
 僕はそれを見た時から、ずっと一貫して、ああ分かったと思っているんだけれど。 つまり、彼女にとって演劇というのは、僕らが劇場でみる出来合いの作品としての演劇ではなくて、一人一人の子どもや大人たちや教師たちや若者たち、彼らがたどっていく経験そのものなんだよね。 それが演劇的なんだよ。
 問題は「演劇を通して、子どもがどう変わっていくか」ではないんですよ。 そういうのは、非常に教師くさい見方だ。 そうじゃなくて「演劇の中で何を表現しているか」ということだよね。 セリフ棒読みの子は、不器用さを介して何を表現しようとしているのか。
 不器用な子どもたちに対するあったかい目が注がれている、と如月さんを評価した人もいるけれど、嘘だ。 そういうもんじゃないです。 やさしさじゃない。 それが、表現だということです。 それこそが、演劇がやるべき表現。 そこにしか、世界を動かす表現というものが生まれてこないんですよ。
──話は少し変わりますが、学校現場で演劇を持っていく際、演劇を「手段」として使うように求められる場合があります。 「演劇的手法を使った算数の授業を」というような。
佐藤:演劇を手段にしてというのは、違うと思うんですよ。 だけど、何ていったらいいかなあ。 あらゆるところが、劇場なんじゃないの。 学校も一つの劇場だし、行政も一つの劇場だし、そこで演劇をやるという発想が必要なんだと思うんだけどね。
 大切なのは…僕は給与とりですからあんまり偉そうなこといえないけれど…演劇は役に立つようになったらおしまいですよ。 何かの役に立ったり、何かの意味を持ったり。 要するに、あほなことやってるから演劇なんだ。 あほなことやってるから魅力的なの。 何の役にも立たない。 何の意味もないことやっているから、演劇なんですよね。 ただし、人々を魅了していなければいけない。 絶えず引きつけていかなければいけない。 それが勝負ですよね。

2003年5月23日、東京大学教育学部にて
聞き手:柏木 陽(演劇百貨店店長)、小川智紀(同番頭)、浅井幸子(同フロアスタッフ)
2003/06/12