店長が行く!第6回
「子どもとアートする!」
野村 誠さん(作曲家)×柏木 陽(NPO法人演劇百貨店代表)

 作曲家の野村誠さんは、現代音楽の世界で注目される作曲家。 また、子どもや老人たちとの作品創造も積極的に展開しています。 世田谷パブリックシアターで行われた「中学生のためのワークショップ・演劇百貨店」では、01年と03年に音楽担当として参加していただきました。 また、今年8月に滋賀・碧水ホールで行われた「野村誠の世界」では、演劇百貨店の柏木店長もスタッフとしてお手伝いしました。
 そんな野村さんも、演劇百貨店の柏木陽店長も、子どもとの共同作品創造という面でみれば10年選手。 急速に認知され始めた「子どもとアートする」現場を、ブームのただ中にいて、どんな感慨で見ているのでしょう。 今回の対談、少々ほろ苦くまとまっています。 野村誠さんの公開質問状のような、企画担当者への提言もあわせて掲載しました。

◆ 即興演奏で知った、他人とものをつくる面白さ

──野村さんの子ども時代、音楽を初めて意識したのは、どんなときでした?
野村:テレビを見ていても、流れてくる歌より、効果音にひきつけられました。 そういう音が欲しくて、テレビの前にラジカセを置いて、カチャッと録ってみたり。 あとで、聞いてみたり。 最近はビデオが中心だけど、僕らの世代って子どものころは、何でもラジカセで録音していたよね。
──そうでしたね。その後の野村さんは?
野村:高校生ぐらいまでは、ひとりでピアノ曲を作っていました。 自分で作って自分で弾く。 他人と関わりがないから、完結してるんです。 で、大学に入って、他人が演奏する曲を書き始めるようになり、そのうち、いろんな人との即興演奏のかたちを模索し始めました。 ジャズのサックスをやってる人や、テクノを作っている友だちなんかと「花いちもんめ」を応用した即興演奏で、メロディーの交換をやってみたりして。 何人かで共同で作業すると、こんな面白いことができるのかと思いました。 89年ごろですね。
──子どもたちなど、いわゆるプロ志向でない人たちと一緒に音楽を創り出したのは、いつごろでしたっけ。
野村:それはもう、だいぶ後ですよ。 94年です……あ、そうだ。 僕、90年ぐらいに保育園に行って、あやしまれたことがあるんです(笑)
──えっ? 何をしたんですか。

◆ 教育とワークショップ的なるもの

野村:ある保育園の園長さんに友達が話をつけてくれたんで、友人と3人で、音楽のパフォーマンスをしに行ったんです。 ああ、意外とこういうことは簡単にできるんだなあと、その時は思った。
 それで僕の友だちも、ちっちゃいスライドを持って行って、その枠の中に子どもたちに絵を描いてもらい、音楽に合わせて投影したんです。 こっちも音を鳴らしながら、暗やみの中で子どもたちの絵を投影していくわけです。 そうすると、子どもはすごいハイテンションになって、一枚映るたんびにうわあ!と大声を出してジャンプして、もうトランスしているような状態。
 ところが、ふたつ返事でOKしてくれた保育園の先生たちは「これはやばい」と瞬時に感じたんでしょう。 紙芝居のように「みなさんこんにちは」というのを彼らは連想してたんだろうけど「このままでは子どもたちが違う世界に連れて行かれてしまう」と思ったんでしょう。 途中、やっている最中に「はい何組の皆さん並んでください、お兄さんたちにあいさつをしましょう、ありがとうございました」と言って次々に各組の子どもがいなくなって、最終的に僕ら3人だけが残るという、驚くべき結末になったんですよ(笑)
 それで、日本の教育関係ではいろいろ難しいんだなあ、とイギリス人の友人に話をしたら「君の言っているようなことは、多分イギリスへ行ったら簡単にできるよ」と言われて、94年に留学しようかなと思ったんです。
──音楽教育を視察するための研修、ということですか。
野村:イギリスに行くときには、まだ教育という言葉のイメージが全然できていなかった。 音楽教育というのは面白いことだ、と確信してたんです。 ところが実際イギリスの学校現場を見ると「こうこういうふうにやりなさい」と導いているだけだで、どこがクリエーティブなのか全然わからないという感じを受けたんです。 特に、学校現場で行われているものに関していえば、子どもから何かを引き出すということはやっていなかった、僕の見た限りでは。
 コンサートでも劇場公演でも、エデュケーションプログラムをくっつけると助成金をもらいやすいから、おまけのようにそんなプログラムをつけるわけ。 子どもたちとやっているのは、本公演の予算を取るための手段に過ぎない。 大して練習もしていないものが「この曲はオーケストラのメンバーと子どもたちが、このコンサートにインスピレーションを受けて新しく作曲した音楽です」といって発表されていたりする。 しかも、日本に戻ってきてそんな状況を伝えようと思ったけど、日本はまだそこにも至っていない状態だった。

──時の流れ方が速いですよね。 僕は、姫路のワークショップへ92年に行き出した当初は「子どもと作品づくりをやってる」って言っただけで、蔑すまれたこともあったんですよ、正直な話。 それが今ではみんな、子どもとワークショップしなくちゃなんて言い始めてる。 あれから10年くらいなのに。
野村:ほんとに、子どもというものにみんなが飛び付くようになるとは、なんともねぇ。
 でもまだ、最近会った何人かの人に「音楽として、非常にクオリティの高いものを作っているんですね。最初はセラピーのようなものだと思っていたんですが、誤解でした」と次々に言われて…。 そんなに誤解されているんだね。 驚きました。 子どもたちと作ることは、それ自体、新しい表現を生み出したり、もっとクオリティーの高いものができる可能性を持つものだと普通は思うんじゃないかと、僕は思っていたから。 子どもとやるイコール、レベルが低いと考えている人も、まだまだ多い。
──世の中の基本的な目線は、まだそうなんでしょう。
野村:それから、世の中には変な宣伝をする人もいるから、本当にこの人は何を頼みたいんだろうというような依頼も増えてきました。 ビジョンもないのに「アウトリーチのワークショップがしたいです」と電話をかけてくる人だとか、多いですよ。 あっちこっちデタラメに、いろんなとこで頼んだり頼まれたりしてるはず。
 そんなの真面目に引き受けていたら、みんな消費されちゃうと思いますよ。 だから、ある講座に講師で呼ばれたとき、レジュメを作って意見を発表したことがあります。
──これはすごい(笑)。野村誠からの公開質問状みたいなもんだ(『アートマネジメントに希望すること』=全文掲載しました)。

◆ 自分が楽しくないなら、行かない方がマシ

──野村さんに、こんな質問をぶつけてみたい。野村さんが学校へ行って子どもたちと作品づくりをやって、どんな効果がありますか。
野村:効果ですか。 知りません。 もしかしたら、子どもに悪影響があるかもしれないし、いい影響があるかもしれないし。 それは「コンサートへ行くと、どんないいことがありますか」というのと同じ。 何より、僕が学校へ行く理由は、自分が楽しいからです。 楽しくないんだったら、行かない方がマシなんです。
 効果うんぬんということをあえて言うなら、そう簡単に検証できないよね。 自分がやっていることは、長いスパンで見ないと全然分からないでしょう。 「この曲、サイテー」と思っても、10年後に「ああ、いい曲だった」と思う可能性もあるわけだから。 逆に「これ最低」と子どもに思わせるのもいいのかもしれない。 そんなこといってたら、ちょっと測れない。 専門的に研究したい人が、ものすごく大掛かりなプロジェクトの大研究をやってくれればいいと思う。
──たとえば「教育上の効果」って簡単に言うけど、結局、教育の効果はわからないんだよね。 子どもは犯罪者にもなるし、マザー・テレサにもなるのよ。 そんなもの誰にもわからなくて、だから良かったりする瞬間があるし、だからこそ、教育っていうのがアーティスティックな営みのように感じるときがあるわけですよ。 人に関わること全般がそうだ。 僕もあえて言うなら、本番直前に子どもも大人も、みんながもじもじしていて「どうするのよ」なんてつつきあってるところも含めて、全部作品であり、それが効果だと思うんです。 出来上がった1時間15分の芝居だけじゃ、とうてい測れないんだと思うんです。

2003年8月18日、京都・野村氏自宅にて
聞き手:柏木 陽(演劇百貨店店長)、小川智紀(同番頭)
2003/09/11